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2006年10月30日

バンメトート(Ban Me Thuot)――独身男のテト

満載が基本
 バンメトート行きのバスは11時過ぎにバスターミナルに入ってきた。運転手と車掌が僕を捕まえて行き先を確認するや、バックパックを奪い取る。手際よく後部座席下の狭い荷物入れに文字通り押し込めば終了。これが長い移動の始まりであった。

 これより前に車内は満員だったのだが、運転手と車掌は韓国製の中型バスに次々と客を詰める。その扱い方は荷物と変わるところがない。むしろ人間には「あそこの男の膝、そうそこに乗れ」「そこの床の隙間に座れるぞ」などと無法な命令を出せるから気楽ですらあるようだ。

 車内に入るのはのは人間だけではない。ダラット産高原野菜、セメント袋、巨大なダンボール箱など、「宅急便翌朝配達」など存在しないベトナムで、個人レベルでの物流の現状を見る羽目になる。

「救援頼む」
 バスは高原のダラットをホーチミン市方面に下る。くねる下り道を容赦なく右に左に車体を振りながら行く。
 出発後ものの10分で嘔吐を開始する人が続出だ。ずいぶんと凄惨な道中となりそうである。全世界の苦悶と悲哀を一身に背負ったような嗚咽が絶えない。それを片耳で聞いているうちに自分まで酔いを感じ出すから不思議なものだ。

 方々の席同士でビニル袋がやり取りされる。窓外に放り投げられる「生ごみ」の数が増える。嘔吐物を入れたものである。ホーチミン市に向かう国道20号線が、バンメトートにつながる国道27号線にぶつかる町に出た。

 ここまで30分程度、丸一昼夜を段ボール箱で過ごしたような気分である。この町でも乗客を集めるというのか、車掌は外に出てバッグを持つ人たちに声をかける。見たところ、このバスに乗れないが次のバスを早めにダラットから出し、客を拾わせようという魂胆らしい。カフェの電話を召し上げて(?)怒鳴ったのち車掌は運転手に合図し、我らがバスは再出発した。

秘境
 国道27号線は、草原を左右に見ながら緩やかに上ってゆく。草原は緑に潤うのでなく枯れた感じである。逃避の方法はひたすら窓外に目を凝らすことである。なだらかな丘に似た山々が遠く地平までつづき、つつましい家屋が点々とするばかりの風景だ。牛が草を食み、ときどき自転車で坂を上り下りする子どもたちと一瞬、目が合う。

 いつしか僕は眠っていた。目が覚めたときにはバスがかなりの高所をのろのろと走り、先刻遠くに見た山の上にいるのだ。見下ろす山は草木に乏しい。やがて10パーセントと勾配の表示される上りが連続し、峠らしきところを通過した。このあたりから自然の印象が変化し始める。樹木が極端に増え、密林の様相を呈すのである。


 道が下り、クリップのようなカーブを描き始めると、前方の視界が大きく開けた。虎の棲息が確認されるというチュオンソン山脈(注:ベトナムとラオス、カンボジアとの国境をなす。北は南中国に発し、南はホーチミン市近くまで伸びる。平均黄土は1,500メートル。山脈南部はタイグエンと呼ばれ、テールルージュという肥沃な紅土に恵まれた土地柄、仏領期には開発が進み、ゴム、コーヒーなどのプランテーションが多数つくられた。

 大東亜戦争直前、仏領印度支那に軍隊を進駐させた日本では当地を取り上げた本が多数出版された。それらの本は右へ倣えでこのチュオンソン山脈の大森林を「千古斧鉞を入れざる」と評した。つまり木を伐採する人が、古来稀であったということである)だった。

少数民族
 そのうちにどうにか小さな集落に出会う。細長い平屋の家が所々にあり、学校らしき建物の軒先には太鼓が置かれている。太鼓で授業の開始と終了を合図するのだろう。
 籠を背負って歩く人々の顔つきがダラットの湖畔をそぞろ歩いていた観光客のそれと違うことがわかる。いわゆる「少数民族」であることは明らかだ。

 彼らの目が大きく顔の彫りが深い。どちらかというと南太平洋の人々を想起させるつくりなのだ。エデ族(注:ダクラック省に主に住むエデ族は、マラヨ・ポリネシア系民族、焼畑稲作を主に、水牛を使って水稲もつくる。細長い平屋の家は、長大長屋(ロングハウス)と呼ばれる)の子どもたちは半裸、裸足である。

人気の少ないバンメトート・バスターミナル
人気の少ないバンメトート・バスターミナル
神の教えの跡あと

 バンメトート市が近づくと、土埃の幕の向こうから市バスが来る。バスの型・塗装ともにホーチミン市のバスと同じである。にわかに郷愁に駆られる。交通至便でスーパーのたくさんあるホーチミン市に戻りたいが、ここからだとまた嘔吐連続のバスに10時間以上揺られなければならない。それに戻ったところで何にもならない――疲れた頭でそんなことを反芻するうちに、バスは止まった。
「バンメ・ホテルまで」
 僕は寄って来たバイクタクシー・ドライバーにそう言った。50,000ドンのところを30,000ドンまで値切って走り出せば、ホテルは距離にして200メートルも離れていなかった。派手に吹っかけられたものである。

たくさん食べれば高くつく
「コーヒーのチュングエン(注:ベトナム最大のコーヒーチェーンで、バンメトートに本社を持つ。全土にフランチャイズ店網を築き、海外進出も果たしている。日本には六本木店がある。)さんはどこだ」翌朝、ホテルのベッドで目を覚ましてから思う。
 外に出て歩くと、市街に向かう道に面して聳えるビルに際立つTRUNG NGUYENの文字である。低層の建物が並ぶなか抜きん出た高さだ。

 その後、眠気の取れないまま屋台でブン・リュウ(注:蟹肉入り汁麺)を食べ、入っている具も同じで他の人が5,000ドンなのに、自分だけ10,000ドンも取られることに抗議し、敢えなく敗退。泣く子とベトナム人には勝てない(のか?)。
「どうして10,000ドンドンなのだ、みんな5,000ドンで払っていたじゃないの!」
「あんたたくさん食べたからだよ」でっぷりと太った中年女が突っぱねる。
 たくさん食べるも何も同じものを食べているのだから、説明としては無理がある。

 たかが約30円かもしれない。だが日本円に換算して考えてはいけないのである。それは憤懣を解決する最後の手段であり、長期化する旅行にあってはもっと現実的な解決方法を探る必要があるのだ。そう考えしばらく今後の対策を練る。得た答えはできるだけ「ベトナム人らしく振舞ってみる」という、どうしようもない泥縄式のものだった。
 つまりは「外国人とバレたらしょうがないや」の精神で行くしかないのである。

コーヒーに憩う
 市街に向かって大きな歩道を歩き、並木の下の木椅子のコーヒー屋に落ち着く。
 女主人は僕にコーヒーを出すとハンモックに入った。ひゅんひゅん左右に身を振って涼むのである
 この町に来てチュングエンのチェーン店に入らないのも気が引けるが、ホーチミン市ではカフェ・ダーは同程度の屋台で3,000ドンだから、女主人の言う2,000ドンに納得したのである。しかし地方都市ならこれも平均価格なのかもしれない。
 バンメトートではどこへ行くと具体的に決めていなかった。だから初老のバイクタクシー・ドライバーが歩み寄って来て、「どこへ行く」と問うてきたときは困った。。

寡黙なドライバー
「ちょっと考えます」僕は答えた。
 ドライバーは初老である。安全に運転してくれそうだから、我が身を預けてもよいかなと思う。
 黒ずんだ前歯を見せ、年来の友であるかのように親しげに迫ってくるドライバーがいる。こういう人たちは敬遠しようと決めている。押しの強い人間は強引な運転をする、それで乗客を振り落としても頓着しないだろう――。
「ダライサップ滝に行きたいです……遠いですよね」
「ダライサップ……」
「行けますか?」
「大丈夫だよ」

 走り出してわかったのだが、彼は寡黙であり、たいていのドライバーが聞いてくる「国籍」「既婚・未婚」「在住地」「渡航目的」など、入国用の書類に要記入の項目に関して口にすることはなかった。だから僕は市の中心部に据えられた戦勝記念の戦車と塔を存分に見上げることができたし、ベトナムでよく見る仏領期の建物がほとんど見られない――戦争で破壊されたのだろうか――ことも把握できた。
 交差点で停止したとき、寡黙過ぎる気がしたので尋ねた。「お名前は?」
 彼はしばらく考えるように間を置いた。
 長い間を経て発進するとき、言った。「トアン」
 そんなトアンさんは、企業の経理課で窓際に座す老社員のイメージを僕に与えた。

野球場型の滝
 滝への途中、僕はいろいろなものを見た。エデ族の長大長屋、バイクの事故現場とちりめんじゃこのように曲がったバイク、背の低い木がつづくコーヒー畑、赤土で組まれたレンガ工場、「ぎょえええ」と鳴いて斜面を駆け上げるヤギ、「ダックノン省へようこそ!」と大書された古びた看板、鉄道が走っていたと思われる鉄橋跡……


ダライサップ滝の眺め
ダライサップ滝の眺め
 到着したダライサップ滝は、日本のそれのように「高いところから細い流れが落ちる式」ではない。どちらかと言えばナイアガラ滝似である。滝全体は野球場型をしている。滝そのものはそそり立つ外野スタンドであり、乾季の今、水が落ちるのはライト?センター間とレフト?センター間からである。つまりセンターのバックスクリーンと両翼のポール周辺は水に濡れず大きな岩が露出しているのである。
「雨季にはもっと水が多い」トアンさんがぼそりと言う。
「いや、いいなあ」僕は言った。だが一方で入場料を払わされたことに少し気分を害していて、かつバイクタクシー・ドライバー一般に対する警戒心を捨てられていないので、トアンさんのつつましい指摘にも礼を言えなかった。情けないことである。

 僕ら以外の行楽客は午前10時台にもかかわらずほろ酔い気分で愉しむらしい。彼らは滝を見上げるちょうどバックネット裏あたりに陣取って、岩場にビニル・シートなど敷いて宴会に興じるのである。ワインのコルクが抜けると大歓声、焼きトウモロコシに果物など、飲み食いするものはふんだんにあった。

バイクタクシー・ドライバー、トアンさんの後姿
バイクタクシー・ドライバー、トアンさんの後姿
ホテルではなく……

 バイクタクシー・ドライバーのトアンさんは現在48歳。ハノイ出身である。
 彼は滝見物から市内に戻ると、大通りを外れて路地に入った。
「バンメ・ホテルにお願いします」と言ってあったはずなのに、ホテルではないどこかに案内しようというのだ。さては路地を抜けるとエデ族の長大な家が並び立っていたりするのだろうか――
 だがバイクはすぐに停止し、トアンさんは「そこに入って待ってて」と言う。そこと言われて小さな民家が軒を接していてどれなのか、わからない。
「どこに行くんですか?」
「家だよ、わたしの家だ」

鶏の迎える家
 なるほど、僕はトアンさんに招待されたのである。客としてもてなされる幸運に与るわけだ。待っているとバイクを置いた彼がひとつの家に入って手招きする。「ここだよ」
 伏せた籠のなかに黒い鶏が一羽いる軒先。鶏は不動の姿勢で予期せぬ訪問客を迎える。


 トアンさんの部屋は自然光のみを昼間は使うらしく、薄暗い。部屋の中央に間仕切りがありそこには1999年から2004年までのカレンダーがずらりとかけられている。僕はベトナム人の民家を外から見る機会はあっても、なかに入ることはほぼ初めてのこと――ダラットで眠った階段下の部屋、あれも民家の一部か――だったから、少なからず興奮し、素早く部屋の内部に視線をやった。


 入り口近く、部屋の左隅に学習机大のテーブルがあり、木製の椅子が四脚ある。テーブルの上に置かれているのはコップや茶瓶だ。
「座って座ってちょっと待ってな」と言うとトアンさんは間仕切りの向こうに消えてしまう。水の音がするので手を洗っているのだろう。僕は足音を抑えて立ち、入り口から部屋を撮影した。許可を取るべきだったのかもしれないが、理由をうまく説明できない気がした。


 軒先に出て鶏も撮影する。一声高く鳴く。僕は鳥インフルエンザの報道にも日々鳥肌を立てていたくらいである。見下ろす家禽が何かハッハとウイルスを吐いてやしないかと疑ってしまう。するとまた鶏が抗議するように鳴く。

バイン・チュン
 トアンさんがなかなか戻ってこない。間仕切りの近くに行き、様子をうかがう。彼は大きなたらいを置いた水道の前でしゃがんでいた。食器など洗うようだ。何か食べるものを準備しているのだ。
「これを食べよう。バイン・チュンだよ」戻ってきた彼が言った。笑顔はないものの、すっきりした表情である。
「バイン・チュンですね」僕は繰り返す。
 バイン・チュンとはテト向けに作られる一種の「ちまき」である。それが日本のお節料理に似た位置づけをされていることも、テト前に教わっていた。しかし今日は15日で、テトを迎えて1週間が経過している。連日30度を超す中部高原である。保存食であってもそれが安全かどうか、僕にはまったくわからない問題である。

 トアンさんはバイン・チュンを皿に出し、切り分けて小皿に入れる。それが終わるとBird’s Nestという銘柄の缶ジュースを寄越す。この缶ジュース、しばしばベトナム人が飲むのを見かけるが中身はわからない。これもまた初体験である。僕がためらっているとトアンさんはプルタブを開けてくれる。親切な人である。飲んでみると激烈に甘く、寒天のようなものが入っている。
「甘いです」と僕は言う。
「おいしいだろう」とトアンさんは言い、「さあ食べよう」と促す。

トアンさんの家の内観
トアンさんの家の内観

独身男のテト
 新年にある家庭を訪問した人のことをベトナムでは「ソンダット人」と呼び、1年の吉兆はそのソンダット人によることになるという。もしかすると僕が金満大国日本からの旅行者だから、金に恵まれる1年を願って僕を招き入れたのかもしれない。
「しかし」とも思う。「隣人付き合いの濃密なベトナムで訪問する人のないことがあるものだろうか」


 食べながら僕は長い沈黙に耐えかねて質問した。
「出身はどちらですか?」
「ハノイ」
 ハノイということは移住者なのである。いったいいつ移住したのだろう。
「戦争のときは軍隊にいましたか?」
「……」トアンさんには僕のベトナム語が理解不能の代物だったらしい。辞書の単語を示したり、ノートに書いてみたりしてようやく通じた。
「軍隊にいましたか?」
「そうだよ」
「いつバンメトートに?」
「18歳だ」

かつての兵士
 彼は30年前の1975年、中部高原制圧を目指すタイグエン戦役(注:南ベトナム政権に重圧をかけることが目標で、バンメトートが主な目標となった)に従ってここまで来たのだろうか? バンメトートからあの作戦の口火は切られたという。
「ホーチミン市には行ったことがありますか?」僕はベトナムの地図を広げて尋ねる。
「あるよ――」このあと何か、僕にはすべて理解できないことをトアンさんは語った。断片的な理解であること、誤謬を恐れずに書けば、彼はサイゴン解放後、ハノイに戻らずバンメトートに住み着いたのである。中部高原は反政府勢力がいまなお活動中らしいが、そういう人々を圧するためにハノイ政府が北の人間の移住を促したのかもしれない。

 何にしても、自分の貧しいベトナム語が残念である。だがひとつ、かつての兵士だったことだけは確信したい。若き兵士も年を取って相応の影を負う。
「兵士だったんですね?」
「そうだ」静かにトアンさんは断言した。僕は本で読んで知るだけだった「北ベトナム軍」の元兵士に初めて会ったのである。


 僕の箸が止まるとトアンさんは缶ジュースを飲めと勧めた。だが甘すぎて飲めない。どうして飲まないのだと目で質問されたので、「水が好きです」と答えになっていないような答えをしてしまう。すると彼は笑ってプラスチックのピッチャーから水をコップに注いでくれる。
 本当に優しく、親切な人なのだろう。

「また来るときに」
 そろそろ辞去しようかと腰を上げるとトアンさんは言うのである。「今日もホテルに泊まるのか? ここに泊まってもいいのだよ」
「はあ……」戸惑いを隠すのは難しい。僕は相当に困った顔をしていただろう。感謝感激して跳び上がってもいいくらいの好機でもあるのだ。

街中ではどこでもコーヒーが飲める
街中ではどこでもコーヒーが飲める
 僕が断わると、トアンさんは落胆したようだったが、すぐに気を取り直して「書くものを」と言う。ペンとノートを渡すとそこに角張ったアルファベットで名前と住所を書いてくれ、「また来るときに」と気遣ってくれるのである。
「縁があれば」というのはまさにこういうときに使う言葉なのだろう。僕はできる限りの礼を言い、「いいよ、お金なんて。80,000ドンは受け取ったから」と言う彼に、バンメ・ホテルまで送ってもらった。
「また会おう」
「はい、また会いましょう」
 トアンさんは笑った。

バンメトート宿泊データ

名前:Ban Me
料金:12万ドン
部屋の広さ:巨大なダブルベッドに加え、天井も高く開放的
設備:エアコンなし。天井ファン。温水は強烈で火傷しそうだった
レセプション:割高な外国人料金を懇切丁寧に説明し、バスの案内も
 一言:部屋のテラスからの眺めが非常によい

(VietnamGuide.com)

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