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2006年10月30日

ダラット(Da Lat)――階段下の部屋

通じないベトナム語
  ホーチミン市発、ベトナム北上計画は、ミエンドン・バスターミナル(Ben Xe Mien Dong)でまず挫折しかけた。混雑する切符売り場で「ダラット」を連呼しても通じないのである。
「ダーラッ」と少しクセをつけてようやく「90,000ドン」の回答を得る。料金表には70,000ドンとあるが、これが話に聞いたテトの割増料金なのであろう。

 2月11日、まだ日本なら松の内と呼ばれるような期間なのかもしれない。僕は、バスターミナルに来るときのバスでの光景を思い出した。ベンタン市場前から午前6時、ミエンドン・バスターミナル行きに乗ると、車掌の少女が「新年おめでとう」と常客に微笑んでいた。水の豊かなサイゴン川を見れば、朝焼けも美しく、これを3カ月間ほとんど見なかった自分の迂闊さを悔いたのだった。

ホーチミン市発ダラット行きバスの車内
ホーチミン市発ダラット行きバスの車内
 ダラット行きのバスは家族連れ、老夫婦などを集め、行楽の雰囲気を満載して出発。ドライバーはDVDプレーヤー装備であることを自慢したいらしく、「これをかけるよ」とDVDを客に見せびらかしてから挿入する。所要7時間となると相当の枚数を持っているにちがいない。

カトリックの集落
  出発し、ビエンホア(Bien Hoa)、チャンボム(Trang Bom)といった街を抜ける。国道1号線の町々には教会の尖塔が目立つ。
  一帯は1954年の南北分断(注:同年インドシナ戦争解決のために調印されたジュネーブ協定を受け、北緯17度線を境界にベトナムは南のベトナム共和国と北のベトナム民主共和国に分かれた)後、北部のカトリックが集団で移住したという。

 南ベトナムのゴ・ジン・ジェム首相(のちに大統領)もフエの名門カトリック一族の生まれで、アイルランド出身の家柄で同じカトリックのJ・F・ケネディと早くから親交を結んでいた人物だ。ベトナムとカトリックの関係は深いものがあり、このジェムが権力の座にあるころ、ケネディが大統領に就いて以降、アメリカの介入によるベトナム戦争泥沼化の端緒が開かれたことは、あまりに有名である。

 僕の隣席は「ホーチミン市のファン・グー・ラオ(Phan Ngu Lao)通りにあるホテルのマーケティング担当なんだ」と言うキエンさんである。ダラット目指して国道20号線を上り始めた頃から話をするようになる。彼はダラットよりかなり手前のマダグイ(Madagui)にあるアミューズメント・パークに社用で赴くという。
「君もマダグイで降りて泊まるといい」とまで誘ってくれるものの、丁重に辞退する。車窓に映る森の木の一種が銃の床尾に使われることを教えてくれるのだが、ではベトナムでは銃を自国で生産しているということなのだろうか。

ベトナム車酔い、かくありき
  ダラットまでの道程、乗客のほとんどが嘔吐する。
  峻険バオロック峠(Deo Bao Loc)の前後、九十九折がつづくとあっては致し方ないのだろう。バスは大きな車体を遠慮なく振り振り進む。子供たちは床に吐き放題、親が彼らをどうにか出入り口まで連れて行き、そこで吐かせてあとで手持ちの水で流せば上等な部類だ。車内にはツンとする臭いが充満して閉口する。

 昼食休憩で停車すると、車内に残った若い女性は床に寝る。
「ハアッ!?」
  僕が気づかずにつま先を引っ掛けたらたいそう御立腹だった。
長距離移動のバスではこういう嘔吐と苦悶が日常の光景であるならば、先行きはひどく暗い。隣席の乗客が突如嘔吐して僕の膝にそれをぶちまけることだってありえないことではない。
(汚いバスはいいけれど、新たに汚れるのはなあ)
  1人吐くとまた1人といった具合に、嘔吐の連鎖が起こるのは、悲劇の渦中、興味深い現象だった。あくびと同じく嘔吐も伝染するのだろうか。

恫喝的示談
  先行きの不安をさらに煽ったのは、バイクとの接触事故である。
「うひゃあ」
「わう」
「ふぉう」
  そんな歓声(?)が、急ブレーキに続いてこだました。バスは路面を遺憾なく滑り、斜めになって道路脇に停止した。
  外を見た。
  バイクがぺしゃんこになっていて、ドライバーと思しき青年が頬の肉を引きつらせ、色を失ってへたり込んでいる。
  すわ警察沙汰かと構えているとと、バスのドライバーは外へ悠然と出て行った。見る限りでは、バイクのドライバーを叱りつけている。自分に非のないことをまくし立てるらしかった。
  縁日のように多数野次馬が集まるものの、一向にやって来ないのは警察であった。

 僕は一度ホーチミン市でバイクに引っ掛けられた。このときは周囲に集まる人たちによっていつの間にかうやむやにされてしまった。このバス対バイクの事故も同様にことが運ぶようだ。腰を抜かした青年は、悲哀の表情で恨み言を吐くようだ。しかし我らがドライバーはこれを無視、乗客に何の説明もなしに再出発した。

松林のなかの別荘は静かにたたずむ
松林のなかの別荘は静かにたたずむ
ダラット文学散歩

  ダラットは、林芙美子が小説『浮雲』(注:大東亜戦争時にダラットで恋に落ちたゆき子と富岡という二人の愛憎を描いた作品)で印象的に描いた通りのところである。

 夕もやのたなびいた高原に、ひがんざくらの並木が所々トラックとすれ違い、段丘になった森のなかに、別荘風な豪華な建物が散見された。いかだかずらの牡丹色の花ざかりの別荘もあれば、(中略)三角のすげ笠をかぶった安南の百姓女が、てんびんをかついでトラックに道をゆずるのもいた。

 ここにバイクを足してしまえば21世紀初頭のダラット像が完成してしまいそうだが、とにかく林は、「湖を前にしたダラットの段丘の街」を手放しで讃美する。

凍死の可能性
  テトには物価が上昇し、バイクタクシー・ドライバーまでそれを盾に頑張るから、泊まるところも見つけるのに難渋した。
  どのホテルの人間も「部屋はないね」と掌をひらひらさせ(注:緩く広げた掌の表裏を相手に繰り返す見せるこの仕草は、「ない」を基本的に表現する。外国人にはややぞんざいな印象を与える)、僕を追い返す。たまに「あるよ」と返事があって料金を尋ねるや、法外な値を言われるのである。

 寒さも増す午後、僕は途方に暮れ始めていた。空腹だし、荷物は重いしでいいことはひとつもない。
(高原で野宿はできない。凍死するかもしれない)
  断られるうちに「次こそは」の気持ちも萎えてきた頃、「キャンナイ・ヘルプユー」とミニホテルの窓から声をかけられる。

 少女である。僕は条件を話し、料金を聞いてそこに泊まることにした。1泊10ドルは高めだが、「テトはどこも高いのよ」と諭され、同時に致命的な宣告を受けることになった。
「明日はね」と彼女は言う。
「はあ」
「あなたの部屋は予約があるの。だから今日だけよ」

部屋のなかでは決して背伸びできない
部屋のなかでは決して背伸びできない
階段下の部屋

  何と冷たいことをと思って、荷物を解いてからすぐに外に出て翌日の宿探しをするが、ことごとく敗退、打ちのめされてホテルに戻った。暗鬱な表情の僕を捕まえた先刻の少女は、姉を連れて来ている。姉が言う。
「明日の部屋がないんでしょう? 泊まるところならあるのよ」
「どこでしょうか」
「こっち」
  案内されたのは、姉が自分の部屋として使う階段下の物置小屋――こう言っては失礼だが――のようなスペースである。階段の下だから屋根も傾斜している。壁に蛍光灯が一本ついている。

「ここが私の部屋なのよ。明日1日、貸してあげましょう」
「いくらでしょうか」
「12万ドン」
宿なしとなる恐怖と戦いながら交渉し、80,000ドンまで下げてもらう。
「ここが電気のスイッチ。あとで掃除をしておくから大丈夫よ」

ダラットのコーヒー
  ダラットで飲んだコーヒーはどれもカフェ・スア・ノン(練乳入りホットコーヒー)だった。一度目は高台の別荘地を通る道路に出た屋台で、二度目はダラット短期師範学校(旧リセー・イェルサン)近くのカフェであった。
  最初の店ではダラットの松林を間近に愉しむ。日本のそれよりも幹が太く、直立する姿が雄々しい。座って地元の人たちを眺めていると、高原焼けとでもいうのだろうか、ホーチミン市あたりで見る肌の色よりも赤く錆びた感じである。寒暖の差によって皮膚が膨張と収縮を繰り返し、そのために硬くなったのかもしれない。

 ダラットの丘に吹く風は冷たい。、雲が割れると光がまた満ちてくると、さざめく湖水が眩しい。
  近くの茂みに咲く花は、ホーチミン市などで見る原色で密に塗られたそれとは違い、濃淡があり、穏やかだ。薄紫色のアサガオに似た花もある。可憐である。

ダラットワインのラベルにも見ることができる校舎
ダラットワインのラベルにも見ることができる校舎
 次の店に入る前、かつてはフランス人の子弟も学んだはずの旧リセー・イェルサン(注:サイゴン・パスツール研究所、ニャチャン・パスツール研究所の設立に関わり、ペスト菌の発見者でもあるイェルサンの名にちなむ)、現在のダラット短期師範大学(Cao Dang Su Pham Da Lat)を眺めた。湾曲したスタイルの茶色のレンガ造り、鐘の塔がひときわ高く、湖を見下ろすようである。避暑地の静謐が気持ちいい。

余暇のためだけ(?)
  ダラット短期師範大学から道――イェルサン通り――を下るとこじんまりとしたダラット駅が見えてくる。ダラット産ワインのラベルで知る人もいるかもしれない。アムステルダム駅を模した東京駅の豪壮さには負けるが、ミニチュアじみていて、可愛げがある。

適度な小ささが高原の避暑地を演出
適度な小ささが高原の避暑地を演出
  ホームは二本しかなく、引込み線は小規模である。ここは物資の集散には向かない鉄道駅だろう。そうすると開拓した別荘地との往復のためだけに、統一鉄道のタップ・チャム(Tap Cham)駅(当時の呼称はツール・チャム)からダラットまでの路線をフランスは敷設したのだろうか。
 余暇をきっちり取るお国柄というから、そうだとしてもおかしくない。

ダラット宿泊データ
名称:Hang Nga
料金:10ドル(初日)、80,000ドン(二日目)、10万ドン(三日目)
部屋の広さ:階段下の部屋以外は六畳程度
設備:エアコンなし。ファンのみ。温水がときどき冷める
レセプション:愛想のよい三姉妹がいて、お菓子をくれたりする
一言:初日の部屋、ベッドがピンクのシーツなのは、新婚旅行のメッカ、ダラットだからだろうか

(VietnamGuide.com)

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