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2006年10月30日

ベトナムのローカルバスに乗る前に

 この旅行記、『ベトナムはローカルバスに乗って』は、タイトルの通り、ベトナムをローカルバスで回ったときの見聞と印象をまとめたものだ。取り上げる内容は、主にローカルバスとその周囲にいる人々の姿、観光地でもないところの日常であり、そこで僕がつらつら考えたことなどが主になっている。


  移動手段「ローカルバス」について詳述すると、ホーチミン市(T.P Ho Chi Minh)からハノイ(Ha Noi)まで全行程をローカルバス(注:外国人旅行者の利用を第一に考えて運行されているのではないバス。ベトナム全土にこのローカルバス網が広がっている)、ローカル船で行き、北部各地を同様にローカルバスで回った。


  ハノイからホーチミン市へは統一鉄道を利用し、ホーチミン市発メコンデルタ巡りでもローカルバス、ローカル船のお世話になった。また各地での移動ではバイクタクシーの後部座席に親しんだ。
  つまるところ、移動では一度もオープンツアー・バス(注:ベトナム旅行ではあまりに有名な存在で、Sinh Cafeに代表される各旅行会社が運行。ホーチミン市?ハノイを結び、途中の観光地では、乗り降り自由。フエ?ハノイというような利用も可能なことから利便性も高く、個人旅行者の足として親しまれている)を利用しなかった。

 ホーチミン市を発ったのは2005年2月11日、テトの休みも終わろうかという頃のこと。全行程を3カ月で行ければいいと思っての出発だった。


  この時点で僕が頼りにしていたのは、3カ月ばかりのホーチミン市「定住生活」で少しだけ鍛えられた日常会話、各種日本語で記された資料のコピー、ベトナム地図出版社の地図帳、『地球の歩き方 ベトナム 2003?2004』(今後、特に事情がない限り、ガイドブックと表記する)である。

 愛の避暑地ダラット(Da Lat)を皮切りに、コーヒーの名産地バンメトート(Ban Me Thuot)、目も眩む白砂青松のトゥイホア(Tuy Hoa)、中部高原の要衝プレイク(Plei Ku)とコントゥム(Kon Tum)を経て、ソンミ村の虐殺で知られるクアンガイ(Quang Ngai)に出た。

 次に中部の三大観光地たるホイアン(Hoi An)、ダナン(Da Nang)、フエ(Hue)を駆け足で抜け、ホーおじさんの生家に近いヴィン(Vinh)、映画『インドシナ』でも登場した景勝地を持つニンビン(Ninh Binh)、北部最大の港湾都市ハイフォン(Hai Phong)発の船で海の桂林ハロン湾(Ha Long)を眺めて無煙炭で名を馳せるホンガイ(Hong Gai)から首都ハノイに入った。これが3月の半ばのことだ。

 ベトナムの首都でなけなしの英気をどうにか養い、出発して向かったのが歌垣で知られるバクニン(Bac Ninh)、雨に濡れるバクジャン(Bac Giang)でかつてそこにいた日本人の記憶をたどり、中国と接するドンダン(Dong Dang)に出て、60年前日本軍が仏印軍(仏領印度支那におけるフランスの軍隊のこと)と激しく戦火を交えたランソン(Lang Son)に入った。

 独立戦争の史跡に恵まれた山間のカオバン(Cao Bang)から、同じくベトミンの根拠地として聞こえたバッカン(Bac Kan)、城址が街中に残るトゥエンクワン(Tuyen Quang)の静けさを味わい、伝説の王フンブオンの祭りで賑わうヴィエッチー(Viet Tri)から避暑地タムダオ(Tam Dao)に上がって休みハノイに一旦戻り、ダムに旧ソ連との関係を象徴するホアビン(Hoa Binh)で、北部旅行を終えた。

 統一鉄道でホーチミン市に戻り、4月30日の式典(注:2005年は1975年のベトナム戦争終結から30年という節目の年だった)を眺めると今度はメコンデルタに足を伸ばした。

 ミートゥアンの吊り橋の向こうにヴィンロン(Vinh Long)を訪ね、クメール寺院の見え始めるソクチャン(Soc Trang)、野鳥の宝庫バクリエウ(Bac Lieu)、カマウ(Ca Mau)でベトナムの南の果てを堪能し、フーコック島(Phu Quoc)を遠くに望むラックジャー(Rach Gia)を経てカンボジアに川でつながるチャウドック(Chau Doc)に入った。ここにメコンデルタ旅行が終わった。
 
  今回の旅行のきっかけを簡単に記すと――

  僕は大東亜戦争時の仏領印度支那(注:現在のベトナム、カンボジア、ラオスを含む地域を指す。フランスが19世紀後半から植民地化した。全体は現在のベトナム南部にあたるコーチシナ植民地、同じく中部のアンナン保護国、北部のトンキン保護領とカンボジア、ラオスという二つの保護国からなっていた)に関わった日本及び日本人に関心があった。

 当時学生として、軍人として、民間人としてベトナムにいた人たちに、60年後の今日、会って話を聞かせてもらったりしていた。そのうち気分が昂じ、取材で話に聞いた場所を訪れ、縁のある風物に触れることを願って渡航に至った。いわば旅行は取材の「延長戦」である。

 そういうわけで、僕がベトナムの各所に探したのは「仏領期」(注:しばしば日本は1941年の時点でベトナムを植民地化したと誤解される。だが進駐していた日本軍が直接印度支那で軍事行動を起こし、実質的に実権を握ったのは1945年3月9日以降のことである)や「大東亜戦争」であり、その背後に見える日本、日本人の足跡である。後述する各訪問地は適当に選ばれたように思われるかもしれないが、数の多寡はあれ、いずれも日本人がいつか歩いた土地であることを付記しておきたい。

 自分を松尾芭蕉になぞらえるほど僕は愚かでないが、彼がはるか昔の歌に詠まれた土地を歴訪して『奥の細道』を記したように、僕もまた歴史的な何かを追ってベトナムを回り、この旅行記をつづってみた。結果として、観光的興味をしっかり満たさない代物になってしまったかもしれない。


  だが、思うに観光とは個人の興味が大前提にあるべき個人的行為であって、大多数の意見にすべて合わせてやる必要のない、自由なもののはずである。観光は雑誌の特集だけに縛られるべきものでもない。少し、勝手な好奇心があった方が、適度に楽しめるように思う。

 なお各章の末尾には、旅行をしようと思っている人の便宜を考え、僕が宿泊したところの「名前」「料金」「部屋の広さ」「設備」「レセプションの応対」「印象」を簡単に記した。何かのときに参考にしてもらえると嬉しい。

(VietnamGuide.com)

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