ベトナムで暮らし3年あまり、ホーチミン市の大学で講師をしていたが、そこでは、多くのレポートがコピー&ペーストされていた。
私が教えていたクラスには、受講登録はしているものの、一度も姿を見せたことがない学生も何人かいた。授業も残り少なくなったある日、ある男子学生が、顔を合わせたことがない女子学生のレポートを持って来た。そこで私は、彼女のレポートに、インターネットから書き写した部分が何カ所もあることに気付いた。これは、教壇に立つ教師や元記事の作者を尊重していないのと同じである。
私は彼女と直接会った。突然の事に恥ずかしそうに、彼女は私が指摘したレポートの文章とインターネットの記事を見ていたが、書き写したことを認めず、夫がレポートを手伝ってくれたと説明した。私の経験上、これは最も卑怯なやり方だ。自分で書き上げるまで、クラスに戻ってこなくていい、プロフェッショナルな研究方法、執筆方法を学ぶよう言ったが、彼女が戻ってくることはなかった。
インターネットが急発展し、身近なものになったことで、資料集めは簡単になった。多くの人が是非を分別せず、研究のモラルにも関心を持たない。
ただ、誤りを全て生徒に押し付けることもできない。教師は、学生のコピー&ペーストを調べるだけでなく、モラルや誠実さも教える責任がある。ベトナムの大学は、まだこの点が甘いと思う。
同じクラスの学生のレポートがそっくりで、間違えた場所も一緒だったが、採点した教師は見て見ぬ振りをしたという記事を読んだことがある。学生のレポートを読み、評価するために給料をもらっているのに、句読点までも一緒のレポートを、いとも簡単に見逃すのはなぜだろう。彼らは、教師としての役割と責任を果たしていると言えるのだろうか。
このまま盗作を容認し続ければ、社会にもたらされる影響は計り知れない。卒業後、大学院に進学し、科学研究に携わる学生もいる。毎月のレポート、分析が求められる企業に入社する学生もいる。学生時代にコピー&ペーストで生き残り、その後もこの習慣を繰り返すのだろうか。
世界では、随分前から教育環境における盗作の排除に関心が持たれてきた。これは、ベトナムでは社会問題のひとつに挙げていいと思う。モラルの欠けたこの行為は、学者の時間、労力、知識が結集した公正な研究を壊しかねない。社会の専門性、誠実性を促すというよりも、怠惰を助長するだけである。
(アメリカ人講師C.G.Fewstonさん)