ベトナム人の国への愛情、勤勉さ、客を愛する心、親しみやすさを友人から聞いたKanesakiさんは、ホーチミン市を新しい生活の地に決めた。しかし年老いた日本人は、異国での穏やかな暮らしを求めてきたのではない。長年鍛錬を重ねてきた剣道を、少しでも後世に伝えたいと考えたのだ。
ベトナムのスポーツ団体に招かれて来る外国人武道家と異なり、Kanesakiさんは退職金を使い2003年末に渡越した。日本で学ぶベトナム人留学生の帰国に同行し、何カ月も経たないうちに弟子とフーニュアン区や1区で活動する場所を見つけられた。しかし管理機関は剣道への投資に関心を示していなかったため一部の人は認めず、彼の剣道クラスを法律違反とする向きもあった。
しかし彼は落胆せず、自分の故郷で開いてきたようなクラス以上に堂々としたものを開講したいと考えた。自腹で道具を購入し、場所を借りた。指導や受講者との会話、昔の侍のように華麗に飛び回れることが幸せなのだという。
ホーチミン市で剣道を教えて早5年。今後もここで剣道を伝え続けていくのか聞くと、「今後も剣道に光を当て続ける」と即答する。受講者の成長を待ち、将来的には孤児や不運な状況にある子供達の施設でボランティアで指導していきたいと明かした。
Kanesakiさんは一見言葉少なだが、弟子からは「生活は質素で誠意ある人なので、親しみやすい」という声が聞かれた。生活に容易に適応し、タンビン区の小さな下宿でも何の不満もない。食事や家はそれほど重要でなく、年寄りに必要なのはいつも心を爽快にさせてくれることがあることだと話す。クラスはこの考えから始めたので、彼にとっての薬となるだけでなく、皆の心を穏やかにさせている。
■Kanesakiさんとベトナムでの剣道の軌跡
Kanesakiさんは1933年兵庫県豊岡市で誕生、剣道を10歳から始め、1995年に指導員の資格、2001年には5段を取得し、ロシアでの稽古に参加したこともある。
剣道がベトナムに入ってきたのは半世紀以上も前だが、1999年にMorikawa Isao氏の指導によりハノイで広まるようになった。2007年、タイで開催された第8回東南アジア剣道選手権大会の男子個人戦でベトナムが銀メダルを獲得。
Kanesaki氏はホーチミン市でタンビン区、7区の日本語学校、レー・ホン・フォン高校で教室を開いたほか、最近は11区のフートスポーツトレーニングセンターでもクラスを開講、約100人が練習に訪れている。